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【公式】有田焼・其泉窯・和食器の通販・販売 賞美堂本店オンラインショップ
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有田陶器市の歴史

有田陶器市の歴史

 

このブログでは日本最古かつ日本最大級の陶器市である「有田陶器市」の歴史をご紹介します。

 

今では有田に限らず日本中の陶磁器産地で行われている「陶器市」や「陶器まつり」と呼ばれる陶磁器販売の催し。

調べてみると、実はこの「陶器市」の元祖は有田だったのです。

 

■100年を超える歴史「有田陶器市」
2024年の今年開催されるのは「第120回 有田陶器市」です。
年に1回ペースの開催として、120回ということは、ざっくり100年以上の歴史があるということですね。
今年が第120回なので第1回は単純に120年前かと考えそうですが、実は日露戦争勃発の年、太平洋戦争中と戦後しばらくの間は有田陶器市は行われておらず、また皆さんもご存知の通り、2020年と2021年は新型コロナウィルスの影響により開催されませんでした。

実際の「第1回 有田陶器市」は西暦1896年(明治29年)と言われています。
おそらく日本全国の「陶器市」や「陶器祭り」といった焼物の販売イベントの中では、有田陶器市が一番歴史があるのではないでしょうか。

では、どういったいきさつで有田陶器市は始まったのでしょう。

 
■「第1回 有田陶器市」へのみち
1616年(江戸時代初期)に誕生した有田焼ですが、幕末から明治の頃、有田は慢性的な不況が続いていました。
この頃、国内では岐阜県の美濃地区や愛知県の瀬戸地区で磁器の生産が盛んになり、国内磁器市場における有田を含む「肥前」の磁器産業の優位性が揺らぎ始めていました。

また「IMARI」と呼ばれ、欧州でもてはやされた有田焼の海外貿易は18世紀前半までで、その後は衰退していました。
そして、1871年(明治4年)の廃藩置県によって長い歴史を持つ「皿山代官所」が閉鎖され、それまで窯業に対して行われていた藩の保護と援助が解かれ、自由競争の時代を迎えたのです。

明治時代に入ってからの有田では、幕末から続く不況を打開するため、様々な試みが行われます。
その一つがフィラデルフィア万博やパリ万博といった万博への有田焼の出品です。
万博への出品をきっかけとし、有田焼は再び欧州で高く評価されます。
ジャポニスムの流行もあり、有田焼は輸出産業のエースになります。

しかし、その後またしても有田は不況に陥ります。
松方デフレや日清戦争など、社会的な不況が押し寄せる中、次第に焼き物が売れなくなっていったのです。
焼き物が売れなくなり、売上げが落ちると、腕のいい職人が雇えなくなり、結果として焼き物の質が落ちていくという悪循環が有田の窯業界で起こるようになっていました。

そんな折、「このままでは有田焼はだめになってしまう」と危機感を抱いた町のリーダーたちの呼びかけによって始まったのが、窯焼き(焼き物の職人)が互いに渾身の焼き物を持ち寄ってその腕を競う「品評会」だったのです。

 

第1回の陶磁器品評会は、1896年(明治29年)3月1日~5日まで桂雲寺(有田町幸平)の本堂で開催されました。
開会式には600人が出席し、出品総数は784点あったそうです。

あれれ?
1896年(明治29年)って、最初に書いてあった第1回有田陶器市の年じゃないの?「陶磁器品評会」じゃなくて「陶器市」じゃないの?

謎ですよね。
私も謎でした。

そこで、さらに調べてみると、現在 有田商工会議所が主催している「有田陶器市」の回数の数え方は、この「陶磁器品評会」の始まりを「第1回 有田陶器市」としていることがわかりました。
有田町の歴史民俗資料館が発行した「品評会・有田陶器市年表」にも同様の記載があります。

ではなぜ、 [品評会] = [陶器市] なのか。

それは、第1回の陶磁器品評会から19年後の1915年(大正4年)に、毎年恒例となった陶磁器品評会の ”協賛行事” として焼き物を販売する「市」を始めたことによります。
あくまで陶器市は、 [陶磁器品評会の協賛行事] だったのです。

そもそも陶磁器品評会が行われていなければ、陶器市も存在しなかったかもしれません。
そうした意味合いもあってか、

1896年(明治29年)第1回 陶磁器品評会 = 第1回 有田陶器市

とされているのでしょう。

それでは、せっかくなので、1915年(大正4年)に初めて行われた陶器市について少し詳しく。


■「蔵ざらえ」へのみち
有田の町の背後にそびえる "黒髪山"。
古くからこの黒髪山は、修験者の霊山とされ、有田は黒髪山を目指す修験者の通り道でした。

いつの頃からか、有田を通る修験者相手に、窯元や商家の主婦たちが商品の売れ残りやキズものを販売するようになりました。
窯元や商家の主婦にとっては、普段は売り物にならない商品を販売する良い機会だったでしょうし、修験者にとっても、おそらく相場より割安な値段でお得に焼き物を購入することができる機会だったのではないでしょうか。

この、ささやかな商いにヒントを得て発案されたのが「陶器市」です。
窯元や商家の蔵に眠っている ”訳あり品” をザルに入れ、一斉に店先に並べて販売するイベントにすれば、きっと町おこしにもなると、発案者の深川六助氏は町長を説得しました。

成功を危ぶむ声も多くありましたし、当時の資料を読むと「わざわざ蔵から出してきて洗うのが面倒」とか、「訳あり品は、訳あり品専門に買い取る業者がいるからいい」という反対意見もあったようです。

しかしながら最終的には開催が決定します。深川六助氏自身が会長を務める有田青年会では、協賛会を組織し、焼き物を販売する陶器市のほかに、演芸会・俳句会・スポーツ大会などを主催し、イベントをさらに盛り上げるために一役買いました。

結果は大成功。
ちなみにこのイベント、はじめの頃は「蔵に眠る訳あり品を全部出してきて販売する」ことから【蔵ざらえ】という名でしたが、初開催から10年ほどすると「陶器市」という文字が新聞に登場するようになりました。
やがて「有田陶器市」という名称が定着していきます。

 
■「有田陶器市100万人」へのみち
1915年(大正4年)に、陶磁器品評会の協賛行事として始まった「陶器市」(当初は「蔵ざらえ」と呼ばれていました)は、好評を博し毎年恒例の行事となり、その規模も大きくなっていきました。

なかでも、弊社 賞美堂本店の前会長 蒲地昭三が有田陶器市を主催する有田商工会議所の会頭を務めていた2003年(平成15年)には、初めて来場者100万人を達成します。

100万人達成の背景には、その数年前からの地道な活動がありました。

弊社前会長 蒲地昭三は、商工会議所会頭在任中に、副会頭や町長とともに広島以西の旅行業者や貸し切りバス会社を訪ね、有田陶器市を訪れるツアーの企画をお願いして歩いたそうです。

また、一般の来場者には混雑を避ける意味から、列車の利用を勧めるため、JR九州にも協力を依頼しました。
その結果、有田駅の駅舎やトイレがきれいになり、JR九州は独自に陶器市の案内マップを10万部印刷し車内の乗客に無料で配ってくれたそうです。

他にも、有田陶器市期間中の警備は有田警察署が全面協力してくれるなど、有田陶器市が100万人規模の一大イベントへと成長する過程では、窯業界だけでなく様々な分野の人々が協力し、有田陶器市を育ててきた努力があったのです。

 

 

■「WEB有田陶器市」へのみち
2020年(令和2年)、新型コロナウィルスの影響により「有田陶器市」は、太平洋戦争中・戦後以来、初めて中止(当初は「延期」との発表)となりました。
有田の窯業界に携わる多くの人々に衝撃が走ったことは言うまでもありません。かくいう私たち賞美堂本店の社員一同も、中止の報を受け、呆然としたことを覚えています。

しかし、これまでもピンチをチャンスに変えてきたのが有田の人々です。
なんと中止を発表する記者会見の席で「WEB有田陶器市」構想が発表されたのです。3月末のことでした。

今振り返ると、ずいぶん急な決定でしたが、背に腹は代えられないというか、やれることはやろう、と決め、賞美堂本店では即座に「WEB有田陶器市」への参加を決定しました。

これまでの陶器市を知っている私たちにとって、陶器市ファンのお客様たちは、大きさ、重さ、質感など、手に取ってご覧になりたいのだ、特に訳ありの "アウトレット品” であれば尚更、オンラインショップで購入されるだろうか、と半信半疑の中でした。

WEB有田陶器市を主催する有田商工会議所、そしてWEB有田陶器市に参加を決めた窯元・商社は急ピッチで準備にあたりました。中にはそれまでインターネットでの販売自体、経験のない会社もありました。
そうした会社へは、有田商工会議所が一からオンラインショップ開設のサポートを行ったそうです。

また、有田町はこの取り組みのため、WEB有田陶器市での購入品の送料を、一部負担することを決定。

2,000円以上のお買い物の送料を有田町が負担するという、太っ腹な施策で、より多くのお客様がWEB有田陶器市でお買い物がしやすい環境になるよう、協力してくれました。

有田商工会議所、参加各社懸命の準備を経て、2022年(令和2年)4月29日、「第1回 WEB有田陶器市」がスタートしました。

その日は本来なら有田陶器市の初日で、私たち社員は皆、お店で接客をしているはずでしたが、有田陶器市の中止と新型コロナウィルス感染拡大防止のため店舗は休業となり、賞美堂本店では全社員が自宅で過ごしていました。

私も自宅で、WEB陶器市の開始の時間を迎えました。
「少しでも購入してくださる方がいたらいいな」と願いながらパソコンの画面を眺めていると、なんと次々とお客様の購入を知らせる通知が舞い込んできたのです。あまりのご注文の多さに、一瞬パソコンが壊れているのでは!?と心配するほどでした。

遠くは北海道や沖縄まで、日本全国からご注文をいただき、中にはご注文の備考欄に励ましのお言葉を添えてくださるお客様もいらっしゃいました。
社員全員が全国から寄せられたご注文や応援のお言葉に感激し、とても励まされました。

前代未聞の有田陶器市中止から、試行錯誤の第1回WEB有田陶器市開催を経て、「賞美堂本店 WEB陶器市」は毎年恒例となりました。

今では、リピーターとして毎回楽しみにしてくださるお客様も多く、また日本国内のみならず、海外からご注文くださるお客様もいらっしゃいます。

”有田陶器市中止” というピンチが、新たなお客様との出会いを私たちにもたらしてくれたのです。

約130年前、不況のため危機にあった当時の有田の人々が、品評会という活路を見出したように、現代に生きる私たちもまた「WEB有田陶器市」という新たな活路を見出したのです。

 
■さいごに
有田陶器市を改めて知るにあたり、歴史を教えてくださった歴史民俗資料館の学芸員さんによると「実は、有田焼というのは、良かったり悪かったりを繰り返している」のだそう。

私などは、古伊万里や明治の万博、近いところではバブル期など、有田焼の歴史と言えば「良い時」のイメージしかなかったものですから、とても意外でした。

現在有田焼は、バブル期以降、売上げは減少の一途にあり、お世辞にも「良い時」とは言えません。

しかしながら、有田では日々、作り手・売り手が試行錯誤、切磋琢磨し、商品や流通の改良に取り組んでいます。

伝統を踏まえながらも、現代のライフスタイルや価値観に合う商品が多数生み出され、有田焼は日々進化しています。

現代の有田焼に携わる私たちの努力や熱意が、きっと次の「良い時」をたぐり寄せるのだと私は信じています。

 

参考文献:「おんなの有田皿山さんぽ史」、「有田我が人生」、「有田歴史民俗資料館ブログ」

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